自治会役員のかたから「大野芝にまつわるこんな記事があるよ」って教えて頂いたのがこの記事である。私自身は「氏神様とは何」のレベルであるが、サッカーの守り神と聞いて投稿させてもらいました。(以下の絵と文章はNPO法人堺観光ボランティア協会 撮るさかい見てある記108号より引用させて頂きました)

大阪府立大学から南へ約1km、国道310号線が地区の中央を通る大野芝町。古くは大野や大野ケ原と呼ばれ、江戸時代には土師村の新開地ということから土師新田と言われた。現在の町名になったのは昭和18年。
かつては新家・土師・土塔・大野芝の4区は「東百舌鳥村」であった。昭和30年代までは田畑が広がっていたが、阪和自動車道・泉北高速鉄道の開通により次第に市街地化していく。
西高野街道は、もとは河内と和泉の国境の道であり高野山へお参りする人たちが通った。街道沿いには、趣のある民家が並ぶ。
細い道を入ると鴉宮神社がある。大野芝町自治会によって守られている地域の氏神様である。大野芝町会館横から平成17年に移転してきたという。もとをたどれば、大阪市此花区伝法に神社があり、豊臣秀吉が朝鮮への渡海前に祈ると社殿の奥から三つ足の鴉(八咫烏)が出現。それで鴉宮と命名した。その神社の荘園のひとつが大野芝町(もとは土師新田)だったためここにも鴉宮が祀られた。現在は、少年サッカーチーム戦勝の守り神にもなりつつある。